!注!これは「代償」の違うバージョンです。
    違うのは結末だけなので、そこだけ読む方はここからジャンプして下さい。




「どうにかならんもんかなあ・・・」
 そんなことを言ったってただ空しいだけ。そうわかっていても呟かずにいられない、ということはある。
 例えば、必死で働いてきた会社を呆気なくリストラされて失業した時などで、男は今まさにそういう状態なのだった。
 不景気のおかげで職はなく、妻に金を持って他の男と逃げられたので貯金もなく、あるのは我が身一つくらいのものだという始末。男の肩書きから無職の二文字が消える日は、果てしなく遠いと思われた。
 ガランとした殺風景な部屋の真中に、することもなく転がっていたら、いやに空腹を覚えた。そういえば、昨日の朝以来何も口にしていないのだ。
「ああ、どうにかならんもんかなあ・・・」
 再び力無く呟き、悪魔でも何でもいいからこの状況をどうにかしてもらいたいもんだ、などと半ば自棄気味に考えたその途端だった。
 ふと、男は人の気配を感じて寝転んだまま部屋の中を見回した。
 その目に、一人のスーツ姿の青年が映る。結構高級そうな服だ、とちらりと思う。畜生、金ってのはあるところには集まるモンだよな。
「誰だよ。見ての通り、俺は貧乏で金なんか無いんだ。セールスならお断りだよ」
 じろりと、幾分のひがみも込め青年を睨み付けてそう言うと、男は寝返りをうって青年に背を向けた。そこで玄関には鍵をかけていた筈であることを思い出し、再び青年へと視線を戻す。
「あんた何者だ?」
 男の問いに、青年は少し口元を歪めた。笑ったのだ、と理解するのに一瞬の間が必要だった。
 中々の美男子だが、どこか奇妙な、違和感とでも言うべきものを拭い切れない。まるで造り物のような、無機的な印象を受けるのだ。
「泥棒か、強盗にでも見えますか」
「いや・・・あんまり金に困ってるようにも見えない。大体、ここには何もない。もし本当に盗みを働くつもりだったんなら、お気の毒と思うよ」
 男はゆっくり体を起こすと、青年に向き直った。そうして、もう一度尋ねる。
「・・・で? アンタは結局何者なんだ?」
「悪魔です」
 男が反応するまで、たっぷり数秒の時間が必要だった。ぽかんと間抜け面で青年を見つめた後、搾り出すように繰り返した。
「悪魔・・・?」
「ええ、そうです」
 尖った尾などなく、スーツを着こなしたその姿は普通の人間と何ら変わらない。
 だが、男はこの青年がどこかおかしいのだとか、冗談や嘘を言っているとは思えなかった。むしろ違和感の理由はそのせいなのかと、そう納得させるような雰囲気を青年は持っていた。
 念のため、くたびれたズボンの上から、腿をつねってみる。
 ――痛かった。
 眉間に皺を寄せながら、どうやら夢でもないらしいことを認識すると、男は小さく溜息を吐いた。
「ま、信じよう。でも、その悪魔がどうして俺のところに・・・?」
「貴方に呼ばれたからですよ」
 さも当然、というような言い方に、男はきょとんとしたが、やがて合点がいった。恐らく、さっき「悪魔でも何でもいいからどうにかしてもらいたいもんだ」等と考えたことを指しているのだろう。
「覚えはありますよね」
「まあ、あるけどな・・・でも俺は呟いただけで、儀式みたいなのはしてないぞ」
「別に構いませんよ。第一このご時世に、正式なやり方を知っているほうが稀ですから。私どももこうして自分から出向くくらいのサービスをしなければやっていけないわけです」
 なるほど、悪魔の世界も不況で大変ということだろう。
 つい大変そうだなと思った男に、悪魔は一見愛想の良い笑顔を見せた。
「では、本題に入りましょうか」
 男は煙草でも吸おうと胸ポケットに手をやったが、昨夜吸ってしまったのが最後の一本であったらしく、箱の中は空だった。
 小さく舌打ちしつつ箱を握りつぶし、確認の意味で問いかける。
「――『契約』のことかい?」
「嬉しいですね、話が早く通じて頂けると」
 にっこりと、悪魔は笑った。だが、その目は笑っていない。氷のように冷たいままで、男はわずかに背筋が寒くなるのを感じた。
「貴方のご希望を三つ、叶えて差し上げます。ですが、三つ目の願いを叶えたら、それと同時に貴方の魂を頂きます」
「つまり、死ぬってことか?」
「まあ、そういうことですね」
 さらりと、悪魔はそう言った。まるで、おや、肩にゴミがついてますよ、とでも言うような口調である。
 さて、こいつはどうしたものか・・・
 男は考えを巡らせた。
 三つの願いを叶えてもらえるのは魅力的だが、かといってまだ死にたくはない。しかし、帰らせてしまうのはあまりにも勿体無いし・・・ そこまで考えて、男はある名案を思いついた。
 思わずほくそ笑んだ男に、悪魔は少し焦れたように声をかけた。
「どうなさいます? 契約されますか? それとも・・・」
「いや、契約するよ」
 慌ててそう言った男に、悪魔はまた笑い、失礼しますと言って男の手をとると、懐から取り出した紙に押し当てた。インクも何もつけていないのに、その紙にぼうっと男の手形が浮き上がる。
「これで、契約は成立です」
 そして紙をしまうと、男に向かってわざとらしいほどうやうやしく頭を下げた。
「ではご主人様、何をお望みになられますか?」
「そうだな・・・まず金だ。本物で、堂々と使えるやつをだ」
「かしこまりました」
 悪魔が軽く上げた手を翻すと、床の上に大きな鞄が二つ、出現した。一つを開けてみると、中には一万円札がぎっしり納まっていた。もう一つは宝石などの貴金属。なかなか気が利いている。
 男は満足気に頷くと、悪魔のほうへと向き直った。
「次の願いだ。俺に忠実な美女を連れて来い」
「かしこまりました」
 悪魔が指を鳴らすと、男の前に目も眩むような美女が現れた。
「いかがですか?」
「ああ、満足だ」
「さて、最後の願いはどうなさいますか?」
 男はニヤリと笑った。
「俺と彼女を不老不死にしろ」
 これが、先程思いついた名案だった。不老不死を願えば、その字の如く、老いる事も死ぬ事もない。
 悪魔は一つ、小さな溜息を吐いた。
「仕方ありませんね」
 呟くように言うと、薄い紫色の液体が入った小さな瓶を二つ取り出した。
「これを飲めば、不老不死となれます」
 あっさりしたものだと思いながら、男は美女にも薬を渡して飲むように指示し、自分も飲んだ。
 だが、液体を嚥下しても、別にどこかが変わったという気はしない。
「・・・これで、本当に不老不死なのか?」
「ええ、そうです」
 悪魔は頷き、こんなものなのかと首を傾げている男に、薄い笑いを端正な顔にひらめかせて続けた。
「これで私の役目はもう終わりです。お幸せに・・・」
 そう言い残し、悪魔は消えた。

*    *    *

 悪魔から受け取った薬を飲んだ男と美女は、めでたく不老不死となったようだった。数十年経っても容姿に変化はない。病気もしないし、例え怪我をしてもすぐに治ってしまう。
 絶世の美女と若いまま、病気も老いも、死の心配もなく生き続ける。あの時、男が望んだ通りに。
 だが、男は幸せではなかった。
 男が願った通り、美女は男に忠実だった。
 何一つ反抗せず、素直に従うのも、最初のうちはよかった。だが、今となってはそれが人形のようで気に入らないし、いくら美女でも毎日見続けていれば飽きてしまう。「美人は三日で飽きる」など、先人はよく言ったものだ。 
 金にまかせて遊びまわってみても、娯楽とて無限ではないし、頼みの綱の金が尽きてしまえばどうしようもなく、あとはただ暇を持て余すのみだ。
 おまけに年をとらないのだから、世間の目もあるし、同じ所にずっといるわけにもいかない。
 今では土地を点々とした挙句、人目を避けて暮らすハメになってしまった。
 毎日毎日が、惰性で過ぎていく。あまりの退屈に飽き飽きしても、どうすることもできない。
 もはや、"永遠の命"というのは、単なる苦痛でしかなかった。
「不老不死ってのも、あんまりよくないな・・・」
 ある日、昔のような安アパートではない、豪邸の一室の豪奢なベッドに寝そべって、男はぽつりと呟いた。
 すると。
「それを願ったのは、他ならぬ貴方でしょう。何が気に入らないのです」
 聞き覚えのある声に、男は飛び起きた。
 冷ややかに男を見据えているのは、まさしくあの時の悪魔であった。服装も表情も声の調子も、全ておぼろげな記憶のままだ。
「お久しぶりですね」
「ああ、何年ぶりだろうな」
 抜け殻のような美女以外の者に会わなくなって久しい。男は懐かしささえ感じ、目を細めた。
「さあ。不老不死に年齢など関係ないでしょう」
 意識しているのかいないのか、突き放すようなその言葉に、男は唇を微かに歪めた。
「そうだな。で、何か用か?もう俺とアンタは関係ないはずだろう」
「いえ、どのようにお暮らしかと思いまして。少し様子を見に来てみたのですが、どうやらあまり楽しくなさそうですね」
 ああ、と頷き、大袈裟に肩を竦めてみせる。
「もう毎日が退屈で退屈で死にそうだよ」
「大丈夫です、貴方は絶対に死にませんよ」
 その言葉に、男は半分泣き顔になり、悪魔に縋りついた。
「なあ、何とかしてくれよ。もう俺はどうにかなりそうなんだ・・・!」
「しかし、私と貴方の契約はもう終っています。貴方の言う通り、私達はもう何の関係もありません」
「頼むよ、・・・後生だから・・・」
 助けてくれ。
 床に膝をついてそう言った男に、悪魔は唇の端を吊り上げた。床に頭をこすりつけんばかりにしている男にはそんなことを窺い知ることはできなかったが、もし目にしたら、その表情が実に嬉しそうで、嘲りや哀れみも含まれていることがわかっただろう。
「・・・退屈から逃れる方法が、なくもありませんよ」
「何!?本当か!?」
 勢いよく顔を上げた男に、悪魔は酷薄という語を具現化したかのような笑みを浮かべた。
「ええ。・・・聞きたいですか?」
「もちろんだ! 是非、教えてくれ!」
「貴方に、私達の仲間になる気がありますか?」
 男は、悪魔の顔をまじまじと見つめ直し、ゆっくりと問い掛けた。
「・・・俺に、悪魔になれと?」
「そうです。・・・どうしますか?このまま永遠の時を持て余すか、それとも・・・」
「なる! 悪魔にでも何でも・・・」
 再び悪魔は笑った。そして、いつかのように小さな瓶を取り出した。だが、中の液体はあの時とは違う。瓶の中で揺れているのは、まるで血のような、鮮やかな赤だ。
「これをお飲みなさい。そうすれば、私達の同胞(なかま)となります」
 男はひったくるように瓶を取ると、中の液体を一息に飲み干した。
 悪魔となることに、躊躇いなど微塵もなかった。むしろ楽しみで、期待すら抱いていた。
 ――これから、大勢の人間と契約を結んでやろう。その中には、自分と同じ願いを頼む、小賢しく愚かな輩がいるかもしれない。そうしたら素直に叶えてやって、そいつの不幸を陰から見守ってやろう・・・!
 そう考えている男を見ながら、悪魔は唇を皮肉な形に歪めた。男の考えていることなど、彼には手にとるように、造作もなく読み取れる。
 この男がかつての自分とまるで同じ事を考えていると思うと、可笑しかった。滑稽で、そして哀れだった。





  
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