時代遅れ

「だからあなたは『時代遅れ』だっていうのよ」 
妻はこれ見よがしに紫煙をくゆらせながら私にそう冷たく言い放った。 
私が煙草嫌いだということを知っていて、わざとそうしているのだ。 
彼女の双眸に宿る光は言葉同様氷の如く冷たかった。だが私に何より冷たい印象を与えるのは 
彼女の、陽の落ちる寸前の夕闇のような青紫の肌だった。 
一体いつからだろう、人々が毛髪や瞳と同じように肌の色まで変え始めたのは。 
最初はごく一部の芸能人と呼ばれる輩が始めたことだった。露出した肌の一部分をあえて人目を引くように 
極彩色で染めたのだ。やがてそれはすぐに一般人の間にも広まり、いつしかその奇行も市民権を得た。 
今では妻のように全身を奇抜な色で染め上げているものも珍しくはなくなっていた。 
しかし私には決して受け入れがたい習慣だった。 
「この色が今年の流行の色なのよ・・・」 
彼女は自分の肌をうっとりと眺めながらそう言った。だがきっと自分の肌がほんの一週間前まで 
目が痛くなるようなショッキングピンクだったことは忘れてしまったに違いない。 
「なぁ、頼むから、煙草はやめてくれないか。それにその肌の色も・・・、耐えられないんだ」 
私の懇願に対して妻は侮蔑するような視線を返した。 
「何よ、男女平等が叫ばれて久しいというのに、女が煙草を吸うのがいけないっていうつもり? 
それにファッションセンスが皆無のあなたに、ファッションのことでとやかく言われたくないわ」 
違う・・・。そうじゃない。私は女だから煙草をやめろといっているのではなかった。 
私が肌の色を変えることに抵抗があるのもファッションとは無縁の理由からだった。 
「本当にあなたって最低ね。流行にも疎いし、ジェンダーフリーの意識もゼロ。 
ついでにろくに稼ぎもしないと来てる。図体ばかりが大きくて、中身が全くついて来ないんですもの」 
そう言うと妻はケラケラとさもおかしそうに笑った。青紫色の顔に、白目の部分と白い歯だけが異様に目立った。 
それは私に過去のある記憶を呼び起こさせた。 
そして妻はふーっと煙草の煙を私の顔にふきかけた。 
「ねぇ、もう私たちそろそろ終わりに・・・」 
妻が何かをいっているようだったが、もう私の耳にはその言葉が届かなかった。 
私の心は五年前のムンガロの戦場に戻っていた。 
防衛壕の中は汗と小便と煙草の臭いでむせ返らんばかりだった。 
毎夜襲撃を繰り返してくるムンガロの民兵の恐怖を紛らわすには煙草ぐらいしかなかったのだ。 
奴らは最新鋭の装備の我々に対して信じられないほど原始的な武器で挑んできた。 
顔中に不気味なペイントを施したムンガロ兵たち・・・。 
殺らなければ殺られる。 
ただその思いだけで我々は銃眼からひたすら奴らに銃弾を浴びせ続けた。 
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ・・・。 
私は目の前にいた全身青紫のムンガロ兵の首を力任せに締め上げる。 
コロセコロセコロセコロセ・・・。 
ボキッと首の骨が砕けるくぐもった音がした。 
その音で私は我に返る。 
私が首を締めていたのは無論ムンガロ兵などではなかった。 
手の力を抜くと妻の身体がどさりと床に倒れた。 
妻の顔があらぬ方向に曲がった。 
「違う・・・。違うんだ。私は、すべてを、やり直したかっただけなんだ・・・」 
思わず後退りした私の視界に、壁に掛けてあるカレンダーが入る。 
カレンダーの今日の日付に私は丸をつけていた。 
三回目の結婚記念日の今日、近頃めっきりいがみ合うことばかりだった二人が、 
何とか仲直りが出来ないものだろうかと、私はそんなことを考えていたのだ。 
私は戸棚の奥に隠していた花束を取り出し、彼女の胸の上にそっと置いた。 
白いユリの花は彼女の青紫の肌に映えて見えた。 
彼女が生きていたら花束を喜んでくれただろうか。それとも結婚記念日に花束なんていまどき 
『時代遅れ』よ、とやっぱり笑われていただろうか。 
私は床の上に落ちていた煙草の吸差しに気づき、拾い上げると口にくわえた。 
煙草の煙を深く吸い込み、そして目を閉じる。 
五年ぶりの煙草の味はひどく苦く、私は二度三度むせ返り、涙がこぼれようとするのは 
そのせいなのだと自分に言い聞かせた。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

せぷさんが「引っ越し祝いに」と書いて下さいました。
しかも三題噺で、お題は私が提供させていただいたのですが、
そのお題というのが「煙草」「カレンダー」「骨」でした。
その時は何も考えていなかったのですが(←オイ)、
我ながらやりにくいお題を出したものだと思います。
ですがせぷさんはそのお題からこんな素晴らしい話を作って下さいました。
せぷさん、本当にありがとうございました。
  →戻
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送