宇宙船ペルセウス号の殺人




「Drマリー・ジリオンが死んだ」
 エンダー級宇宙船ペルセウス号船長、ゴードン・クロウリーは私の顔を見るなりおはようの挨拶もせずにそう言った。彼女の死を悼むというより、厄介ごとを憂いているような言い方だった。
「彼女の死は事故なのか、それとも・・・」
 目覚めたばかりで頭が冴えず、うまく言葉が続かなかった。クロウリーが語尾を奪った。
「それともの方だ、ハーソン。彼女の死は事故じゃない。現場の鑑識の方は、私と、Drボリスの二人であらかた終えた」
 シュヴァルツ・ボリスが苦虫を潰したような面持ちでジロリと私の方を一瞥し、クロウリーの後を継いだ。
「私は、監察医ではない。だが、マリーの死因は明らかだ」
 ボリスは、『マリー・S・ジリオン』というネームプレートの張られているスリープカプセルを、ノックでもするかのようにコンコンと軽く叩いた。
 そこで私は目覚めてから初めて彼女のカプセルに、今となっては柩と言うべきだろうか、目を向けた。
 哀れなるマリー・ジリオン。
 鮮やかなブロンドの髪は密室であるはずのカプセルの中でそよ風を受けて揺れているかのようであり、コールドスリープ中の規則で最低限の着衣しか許されないためグラマラスなボディラインはひどく強調され、永遠に閉ざされるままとなった瞼の奥では今も楽しげな夢でも見ているかのようだ。まるで・・・。
「まるで、眠っているだけのようだ・・・」
 私はそう感想を述べた。ボリスが皮肉めいた笑みで口端を歪めた。
「いや、ハーソン、彼女は死んでいる、間違いなく死んでいる、マリー・ジリオンは死んでいるんだ!」
 ボリスはそうしなければ私が納得しないとでも思っているのか、舞台俳優のような大げさな言い回しと手振りで三度くり返した。そしてもう一度。
「彼女は、死んだ。揺りかごに乗って・・・」
 揺りかご?一瞬ボリスが何を言っているのかわからなかったが、すぐにその意味に思い至った。
 揺りかごとはコールドスリープユニット搭載の、全ての宇宙船に備えてある一種の救済装置のことだ。例えば方向転換のすべを失った宇宙船が恒星に突入することが避けえない時、例えば多数の宇宙海賊に包囲されて脱出が困難であると考えられる時、その他様々な危機的状況において乗組員を苦痛から開放するためにその装置は使用される。
 具体的な使用方法は通常のコールドスリープと何ら変わらない。異なるのはカプセル内に満たされるのが人工羊水ではなく、笑気ガスの一種だということだ。赤ん坊が揺りかごの中で安らかに眠りに落ちるように、心地好いまどろみの中で永遠の眠りを迎えるができる。
 無論正式名称というわけではない。ただ、誰もがそれを正式名称や四文字のアルファベットの略称で呼ぼうとせず、冗談めかして「『揺りかご』に乗る羽目には陥りたくないものだな」などと言うものだから、いつしかその装置のことを『揺りかご』と呼ぶようになったのだ。
 上層部の連中に言わせるとそれはきわめて人道的な配慮によるものらしい。だが私には、悪趣味な冗談にしか思えない。死を目前にして今更痛みを伴おうが、そうでなかろうが一体何が違うというのか?
 ともかくマリー・ジリオンは揺りかごの中で永遠の眠りについた。彼女自身は痛みなど全く感じる事がなかったに違いない。
「なぜ彼女だけが『揺りかご』に乗る羽目に?」
 私は当然とも言える疑問を口にした。『揺りかご』はその特殊な使用目的のために特定の誰か一人に対して使われることなどありえない。『揺りかご』が揺れる時は、その宇宙船の乗務員全員の『揺りかご』が揺れるはずだ。
「その理由はアンタが知ってんじゃないのかい、Mrハーソン?」
 二等航海技術士のオズワルド・ヒラーが横から口を出した。水面に付けていた顔をばっと上げたような勢いだった。
「ユニットの端末コンピューターに誰かが悪さしたらしいぜ。そんな事が出来んのはプログラミングの専門家である航宙士のアンタ一人だろ、ダニエル・ハーソン?」
 いきなり名指しされ、私は慌ててクロウリーの方を見た。
「コンピューターがハッキングされたというのは本当か?」
 クロウリーは小さく頷いた。
「詳しいことは解析してみないとわからないが、コールドスリープのプログラミングに外部から侵入した形跡があったのは間違いない」
 三人が、凶悪犯でも相手にする時のような目付きで私を見た。
「ちょっと待ってくれ。確かに今回のコース設定をおこなったのは私だ。私ならプログラミングを改ざんすることも可能だろう。だが私がやったのなら、わざわざ外部から侵入する必要はないぞ」
「ふん、どうだかな。自分から疑いの目を逸らすためわざと外部から侵入したのかもしれないぜ」と、ヒラー。
「じゃあ、言わせてもらうが、ヒラー、お前に私と同程度の、いやそれ以上のハッキング能力がないと、誰が保証する?」
「俺にはマリーを殺す理由はないぞ」
「私だってそれは同じだ!」
「やめろ、二人とも!」
 クロウリーが一喝した。
「宇宙船に乗務する以上、コンピューターに対して最低限の知識があるのは当然だ。マリーを殺す気なら、事前に学習さえすれば誰だって可能ということだ。それは私も、そしてヒラー、お前も同じだ。そのことでハーソンを犯人だと限定することは出来ない」
 クロウリーは重く息を吐いた。
「疑えば切りがない。私が怖れているのは、まさにそれなんだ・・・」
 その時場違いといっていい陽気な声がした。
「よぉ、何みんなで、騒いでんだよ、こんなところで」
 六番目のクルーにして一等機関士、そして最後の容疑者、ヘンリー・シェナーの登場だった。
 皆が一斉にシェナーを見た。船長以下四人が自分を出迎えたことにシェナーは少なからず戸惑っているようだった。
「どうしたんだよ、みんな、俺の顔に何かついてんのか?」
 シェナーが奇妙に思うのも無理はない。本来であればコールドスリープから目覚めれば誰だっていつまでもスリープルームになど残ったりしない。普通は各自の個室に戻ったり、人が恋しければミーティングルームへ顔を出したり、気分が優れなければ医務室に行くこともある。だが四人が固まってスリープルームに居残ることなど考えられない。
「君が起きるのを待っていたんだ」
 代表してクロウリーが言った。そう、待っていたんだ、君が、マリー・ジリオンの殺人者であるかもしれない君が、万が一にも逃亡や破壊工作など謀らないように、と心の中で彼の代わりに付け加える。
 クロウリーは私の時と同様に手短かに概要をシェナーに話し、同じくボリスがそれに付け加えた。ただ私の時のようないざこざはなかった。
「そうか、Drマリーが死んじまったか。いい女だったのに、残念」
 シェナーは宇宙での暮らしを、父親の事業を引き継ぐまでの退屈しのぎだと言ってはばからない男だった。このときもあくまで軽口を叩くような口調だった。
「死ぬ前に、一度抱いてやればよかったか」
 この言葉にボリスが顔を真っ赤にさせていきり立った。
「し、死者を、死者を冒涜するような言葉は控えてもらおうか」
 シェナーはそんなボリスを冷ややかに見下した。自分の態度を改めるような素振りには見えなかった。
「なに、今頃はDrマリーも天国で、俺に抱かれなかったことをひどく後悔しているはずさ」
「貴様!」
 ボリスがシェナーに掴みかかろうとした。我々が止めに入らなければ、殴り合いの喧嘩になっていただろう。いやボリスが一方的に殴られるだけか。
「ボリス、アンタがDrマリーにどれくらい入れ込んでいたか知らないが、俺に八つ当たりするのはよしてもらおうか。彼女を殺したのは俺じゃない」
 これはお笑い草だった。マリー・ジリオンに入れ込んでいたのがシェナー本人だったのは周知の事実だった。だが頭に血が昇っていたボリスは、そのことに考えが巡らなかった。殺してやる、と物騒な言葉を吐き出し、もう一度シェナーに掴みかかろうとした。
「やめるんだ、二人とも」
 クロウリーが先程と似たような台詞をくり返す。
「Drボリス、貴方らしくもない、もっと冷静に!シェナー、君もだ、Drを挑発するような言動は慎みたまえ!」
 クロウリーは深く息を吐き出してから、我々の顔をゆっくりと見回した。
「先ずは私の考えを聞いてほしい」
 クロウリーは一つ一つ言葉を選びながら、噛み締めるように話しだした。
「私は、犯人捜しをするつもりはない。無論、マリー・ジリオンを殺した者に、それ相応の罰が与えられて然るべきだとは思う。だがそれも全ては本星に帰還してからの話だ。今この状況で、犯人が見つかったところで、我々にはどうしようもない」
 そこで一旦言葉を切って、もう一度我々の顔を順に見まわした。
「任務を放棄して中途帰還するという選択は取れない。犯人だけを送り返す方法もない。これから向かう任務地、惑星アロィンで任務期間の三年もの間その犯人をどう扱う?隔離して、四六時中見張りを立てるか?それともいっそ氷付けにして宇宙に放り出すか?出来ない、出来ないんだ、我々には最初から選択肢なんて与えられていないんだ!」
 クロウリーは額に手を当て呻くように続けた。
「亡くなったマリー・ジリオンは幸いにして、そう言っては語弊があるが、医療技術士であり、いわば非常要員だった。彼女がいなくとも、まあ任務自体はどうにかなる。だがこれ以上誰が欠けたとしても任務遂行に支障を来す。それだけは避けなければならない」
 クロウリーは自らが吐き出した言葉を呪っているようだった。我々にもその言葉の重みはすぐに伝わった。
「任務遂行を最優先とする。それが私の考えだ」
 そう言い終わるとクロウリーはそのまま崩れるように床に座り込んだ。体の中の力を全て使い果たしてしまったかのようだった。
「さあ、船長の言葉を聞いただろう。皆、一度自分の部屋に戻ってくれ。追って指示を連絡する」
 船長代理の権限を持つ私がそう言った時、ヒラーが私の腕を掴んだ。
「待ってくれよ。ちょっと待ってくれ。任務遂行を最優先にするだって?いいだろう、わかるよ、それが世の中ってものだからな。だがやっぱり殺人鬼を野放しにして、放って置くってのは、まともじゃないぜ。一人になったところをいきなり後ろからブスリと刺されるのは俺はご免だ」
 恐慌に陥るヒラーを諭すように私は言った。
「大丈夫だ、ヒラー、おそらくそうはならない」
「何でだ、何で分かるんだよ。ハーソン、アンタが犯人だっていうのか!?」
「違う。そういう意味で言ったんじゃない。犯人の奴がその気なら、もうとっくにやってるだろうってことさ。今頃犯人が誰かなんて論じあってなどいない。目覚めてもいない。動機が何であれ、犯人の目的は彼女一人なんだろう」
「本当か。本当にそう思うか」
「ああ、間違いない。だから安心していい・・・」
「なあ、いっそのこと真相を明らかにしちゃどうだ」
 そう言って私の言葉を遮ったのはシェナーだった。シェナーは全員の視線が再び 自分に集まるのを充分に待ってからそして切り出した。
「俺はマリー・ジリオンが死に到った真相を知っているぜ」
「どういう意味だ、シェナー?」と私。
 シェナーは子供が悪戯でも思いついたときのようにニヤリと笑った。
「彼女は自ら死を選んだんだ」
「どういう意味だ、シェナー?」同じ台詞を今度はクロウリーが。
「言葉どおりの意味だよ、彼女は自殺したんだ」
「馬鹿な、彼女の死が自殺だと?」
 ボリスが吐き捨てるように言った。確かにボリスの言うとおりだった。マリー・ジリオンの人となりをわずかでも知っているのであれば、彼女と自殺を結びつけることなどありえない。
 立ち上がったクロウリーが威厳を取り戻すべく厳かに尋ねた。
「彼女の死が自殺だというなら、その動機は何だ?」
「古来から女が自ら死を選ぶ理由はただ一つ・・・」
「勿体つけた言い方をするな、シェナー!」
「急かすなよ、船長。女が自殺する理由は一つしかない、男に、そうさ、男に振られたからに決まってるだろうが」
 そしてシェナーはさもおかしそうにカカカと高笑いした。
「男に振られただと?彼女が?誰に?」
 なおも笑い続けようとするシェナーに今度はボリスが問うた。先程までとは打って変わってきわめて事務的な口調だった。
「誰に、だと?分かり切ったことを聞くなよ、ボリス!」
 唇端を笑みに歪めたまま、シェナーはボリスを威圧的に上から見下ろした。
「俺にだよ、俺に。彼女は俺に振られたことを苦にして死を選んだんだ」
 シェナーは意味もなく高笑いを交えながら話を続けた。
「ああ、そうだ。最終のメンタルチェックの時に彼女に言い寄られたんだ。アロィンに着いたら、もっと二人の関係を親密なものにしないかと彼女に誘われたんだ。だが俺は任務が第一だと彼女の誘いを断った。そうだ、俺が、この俺が拒否した、ハハ、俺がだ」
 おそらく話は全く逆なのだろう。コールドスリープに突入する前の最終ヘルスチェックで船医であるマリー・ジリオンに誘いを掛けたのはシェナーの方だった。だが彼女はシェナーに手痛く肘鉄を喰らわせた。真相はそんなところに違いない。
 たぶん誰もシェナーの話などまともには聞いてはいなかった。にもかかわらず、マリー・ジリオンの死が自殺であるという彼の仮説はその場を支配した。事無かれ主義のクロウリーにとっては彼女の死が自殺である方が都合がいいに話だ。憶病者のヒラーには真実など永遠に意味はない。シェナーには彼女の死を自殺とすることで彼女の存在そのものを辱めるという目的がある。私には今更彼女の死が自殺だろうがそうでなかろうが正直どうでもいいことだった。だがボリスは・・・。
 いつの間にかシェナーの高笑いもやみ、彼も含め、四人は押し黙ったままボリスを見ていた。ボリスは、この男だけは、マリー・ジリオンの死を自殺と認めることは決してないだろう。そう確信めいたものを抱いていたのは私だけではあるまい。
 誰もが次にボリスが何かを言うのを待っていた。注目されていたことを知ってか知らずか、ボリスはしばらくの間じっと考え込むように親指の爪を噛んでいた。
「マリーの死が自殺とは・・・」
 ボリスは笑った。何かを、そう、自分自身を嘲るような笑い。
「マリーが貴様をたらし込もうとしただと?」
 ボリスがシェナーを見た。笑みを浮かべつつも感情が全く伺い知れなかった。
「笑わせる話だ。仮にもう一度宇宙が開闢を迎えることがあったとしても、それはありえん話だ」
 ボリスは再び爪を噛もうとしたが、彼の右親指には噛むべき爪先が無くなっていた。指先からたらたらと血が流れ出した。
「最高だよ。今まで聞いた中で最高に笑えるジョークだ。マリーが自殺だと?おかしくって腹がねじ切れそうだ。笑わせる!笑わせる!!笑わせる!!!」
 ボリスが天を仰ぐように手を広げた。ピュッと床面に血花が咲いた。
「ふざけるな!!」
 突然ボリスがけらけらと笑い出した。本当に気が触れたのかと思った。永遠に続くかと思われたそれも不意に止んだ。
「いいだろう。マリーが自殺だと?それもいい。所詮死因が何であろうが、彼女は生き返りはしないのだからな」
 ボリスが表情を変えた。怒りでもなく、悲しみでもなく、無論喜びでもない。それを何と表してよいか私にはわからなかった。
「彼女の死を自殺と認めるには一つ条件がある。いや、提案と言い換えた方がよいか・・・」
 そしてボリスは一つの計画を我々に打ち明けた。

                  *

 マリー・ジリオンが私の足元で寝そべっている。子猫のようにじゃれつこうとしてきて、私は無下に足蹴にした。
 オリジナルと寸分変わらぬ姿だが、髪の手入れが面倒しくて私はばっさりと短く切ってしまった。
 経験が人を賢くする。知識によって知能は向上する。
 急速培養のクローンではろくにしゃべれやしない。知能レベルはそう、それこそ子猫程度だ。
 ボリスの計画とはまさにそれだった。マリー・ジリオンのクローン。生物工学はボリスの専門分野だ。奴はまさしく天才だ。アロィンに着いてわずか三ヵ月で、しかも正規の任務の合間を縫ってマリー・ジリオンを誕生させた。
 オリジナルと寸分たがわぬ五人のマリー。だが知能レベルはオリジナルと比べようもなかった。その意味ではマリー・ジリオンはこの宇宙から永遠に消えてしまったのだ。
 ただ一人ボリスだけが、少しでもオリジナルに近づけるべく、クローンの教育に熱心なようだが、それも徒労に帰すだろう。所詮クローンはクローン、せいぜい愛玩動物か、予備のボディ・パーツが関の山だ。
 私は、私のマリーの知能レベルを上げるつもりなど毛頭無かった。
 頭のよい女につき合うのはもうご免だ。
 そう、一度だけで十分だ。

                  *

 エンダー級宇宙船ペルセウス号より本星航行センターへ緊急連絡。
『惑星アロィンより帰還途中船内にて殺人事件発生。被害者は同船一等航宙士ダニエル・デービス・ハーソン。ハーソン航宙士は腹部及び胸部など計五ヵ所を鋭い刃物のようなもので刺されており出血多量にて死亡。犯人の特定未だならず。帰還航行プログラミングはハーソン航宙士により入力済みにて同号の運行に支障なし。以上、報告者、同船医療技術士マリー・セレス・ジリオン』







作者・せぷさんのコメント


このたびismにおいて『宇宙船ペルセウス号の殺人』を掲載していただけることになりました。
この作品、自分では出来自体はそれなりに納得しているのですが、
倫理的に問題のあるシーンがあるため、どう扱ってよいか正直計りかねていました。
しかし幸いなことに如月さんのサイトで陽の目を見ることになり、作者としてほっとしています。
管理人の如月さんの寛容な厚意に感謝するとともに、創作活動の励みにしたいと思っています。



せぷさん秘蔵の作品を、掲載させて頂きました。
SF+推理物という、私のツボをピンポイントで突いているような作品です。
尚、今回掲載するにあたって、せぷさんのサイトにリンクを貼らせて頂きました。
短編長編共に充実し、また日記にて週一でSSを掲載してらっしゃいます。
そんな「せぷの屋根裏工房」へは「旅」からどうぞ。


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