『夏の終わり』


 朝から熱を帯びた湿気が肌にまとわりつくような、そんな日だった。

 玄関先に、蝉の死骸が転がっていた。
 出がけに見るには、あまり気分のいいとは言えない。
 思わず顔を顰めて、どうにか片付けようかとも思ったけれど、ただでさえ遅刻しそうだったから、ほっといてそのまま学校へ行った。

 退屈な講義の間、何となくあの蝉の死骸のことを考えていた。
 ぽつりと転がっていたそれは見るからに乾いていて哀愁を誘うどころか、いっそ呆気なかった。

 そういえば最近ひっきりなしに、えらくうるさく鳴いてる奴がいた。
 あれはあいつだったんだろうか。
 安普請のアパートは壁が薄くて音をよく通す。ただでさえ暑くて機嫌が悪いところに加えての声、ずいぶんと苛々させられたものだった。

 蝉は地中に三年間いる。
 そんな長い時間、暗い地面の下で過ごすのはどんな気分なんだろう。
 そうしてようやく広い世界に出てきて、わずか一週間で死んでしまう。
 彼らは一体どんな気持ちでなくのだろう。
 鳴く。泣く。啼く。
 日本語は同じ言葉でも多くの字がある。しかもそれぞれ意味があるというから大したものだ。
 この場合はどれに当たるんだろう。――そういえば哭く、というのもあったっけ。

 人生八十年、なんて言葉もあるのに比べて、彼らに与えられた時間は何て短いんだろう。
 そして彼らが思い切り声を張り上げることが出来るのはその終焉の、本当に僅かしかないのだ。

 ――そう思えば、あんなに悪態を吐くことはなかったかな。

 何となく、今更のように罪悪感を感じた。
 帰ったらどこかに埋めてやろうか、そう思ったけれど、実際日も暮れかけて家に帰り着いた時には、蝉の死骸は消えていた。
 現れた時と同じように唐突だった。
 他の住人なり管理人なりが片付けでもしたのか、それとも蟻にでも運ばれたのか。
 理由はわからないけれど何となく拍子抜けして、鍵を開けた。

 ドアを閉めるとき、どこかから涼しげな虫の声が聞こえた。
 もうすぐ、夏も終わる。



呟きより移動。これはSSっつーより散文・・・なのかなぁ。(862字)




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